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日本の奇跡は終わっていない

(2011年3月17日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 日本で起きた地震と津波を伝える映像の中で、最も筆者の心に焼きついたイメージは、自然のひどい破壊力を示す壮絶な映像ではなかった。

■献身的な行動取ったコンビニ店員

 もちろん、自然の破壊力はその規模と戦慄において驚異的だった。10メートルの波がたけり狂った獣のように岸に打ち寄せ、車や船、家(中には燃えている家もあった)が丸ごと激しい泥水に放り込まれていく映像をすぐに忘れる人はいないだろう。

 また、津波の後に静まり返った陸前高田のイメージをすぐに頭から消し去る人もいないだろう。海辺にあるこの町では、木造の住宅がマッチ棒のように砕け散り、溺れた人々の墓場となっている。

 しかし、筆者の頭に一番長く残るだろう2つのイメージは、それよりずっと小さな出来事だ。

 1つ目は、マグニチュード9.0の地震がその破壊力を解き放った瞬間のスーパーの様子を捉えた映像だ。商品がきれいに積み上げられた棚が揺れ始めた時、店員たちは慌てて逃げ場を求めたりしなかった。その代わり、しょうゆの瓶や味噌のパックが床に落ちるのを防ごうとしたのだ(おおむね努力は無駄に終わった)。

 店員たちの勤勉さは、今ほど困難でない時に人が日々目にする、さりげない献身的な行動を思い出させてくれる。

■消えてしまった慣れ親しんだ景色

 2つ目のイメージはBBCのカメラマンが捉えた映像で、何より胸を打つものだった。混乱のあまり目が見えていないかのような若い女性が、がれきや落ちてきた枝が散乱する土地をぼうぜんと見回している。彼女は乗馬用のズボンを身につけている。少し前まで、自分の馬を走らせていたからだ。

 馬はいなくなった。慣れ親しんだ景色も消えた。周辺の様子は見る影もなく、理解を超えるほど変わり果ててしまった。「ここにあるはずのものが、ないんです」。彼女はほとんど独り言のように、こうつぶやいた。

 筆者自身も今週、よく知る東京に着いた時、軽い失見当識のような感覚に陥った。地震の震源地から遠く離れ、津波の恐ろしい手が及ばない首都でさえ、日本はゆがんだ鏡にその姿を映し出している。

 羽田空港から都心までのドライブは20分そこそこしかかからなかった。普段の3倍の速さだ。道路を走る車はほとんどない。ガソリン不足が招いた結果だ、とタクシーの運転手が教えてくれた。このさわやかな春の日に空が美しい青色なのは、車が走っていないためなのだという。

■ゴーストタウンと化したオフィス

 東京中心部の通りはほとんど人けがなく、コンビニエンスストアの棚は半分空っぽだ。オフィスはゴーストタウンと化している。停電や余震で閉じ込められる恐れがあるエレベーターに乗ることは、毎回、多少勇気がいる行動だ。

 経済財政政策を担う省庁が入った政府ビルの中は、節電のために照明が暗くなっている。薄暗く、暖房が入っていないロビーに、受付係が2人、そろいの毛布をひざにかけて座っている。

 経済財政担当相の与謝野馨氏(72歳)も普段の服装ではなく、青い作業服に長いゴム靴姿だ。内閣が第2次世界大戦後最悪の日本の危機を認識している印だろう。この絶望的な瞬間は日本を奮い立たせることができるかと問うと、与謝野氏は挑むように小さな拳を握り締めてみせた。

 官僚の深刻な顔つきは、原爆が落とされた後、裕仁天皇がラジオで「耐え難きを耐える」よう国民に呼びかけた1945年当時とそう変わらないはずだ。16日には息子の明仁天皇が例のないビデオ映像でテレビに登場し、「この不幸な時期を乗り越える」ために力を合わせるよう国民に呼びかけた。

■それでも残る見慣れた風景

 厳粛な空気が街を覆っている。人々は横目でテレビを見やり、爆発が相次ぐ福島原子力発電所の溶け出す燃料棒に関する最新情報を見ている。彼らは放射線を心配し、次の余震を心配し、東京都心から遠く離れた郊外の家に帰る電車が走っているかどうか少なからず心配している。

 だが、こうした奇妙な感覚の中でも、東京には今も心強いほど見慣れた光景がある。タクシーの運転手は今もお辞儀する。車内は今も白いレースで飾られている。日本のトイレの便座は今も温められている(これは欠かせない小さなぜいたくだ)。小売店の店主は今も顧客にサービスするために駆け寄ってくる。

 友人たちが過去数日間のエピソードを語ってくれた。地震の当日は何万人もの人がオフィスに泊まり、何百万人の人がアリの行列のように何キロも歩いて自宅に帰った。月曜になると、電車の運行が限られていたにもかかわらず、大勢の人が何とかして職場に戻ってこようとしたという。

 停電や次の大地震に備えて、トイレットペーパーや電池、豆腐がなくなった棚もあるが、人々が買う量を1人当たりパン1斤、牛乳1パックに自主制限しているところもある。日本を知る人、工場で働く従業員や細かな作業に取り組む職人を見たことのある人にとっては、どれも励みになる話だ。

■「災い転じて福」となせるか

 日本はその国民以外にほとんど天然資源を持たない国だ。日本の奇跡を生み出したのは彼ら日本人であり、また、世界がこの国の経済停滞にうんざりし、幻滅した時でさえ、別の種類の日本の奇跡を守り通してきた人々だ。

 筆者がこうして原稿を書いている今も、ホテルは新たな余震で揺れている。今の状況は厳しく、恐ろしい。だが、筆者の頭をよぎるのは、もう定年退職している旧友の緒方四十郎氏が今週教えてくれたことだ。

 彼は「災い転じて福となす」という日本のことわざを引用してくれた。英語では、散文的に「make the best of a bad bargain(不利な状況で最善を尽くす、逆境を乗り越える)」と言われる。日本語では、むしろ「災難を曲げて、それを幸福に変える」というような響きがある。緒方氏は、日本がまさにそれを成し遂げられることを願っている。
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